山縣昌景の精神は徳川四天王、井伊直政に引き継がれ、徳川軍団の先鋒を務めます。
甲斐が織田領になったとき、一揆が起きますが、一揆の中心になったのは山縣昌景のかつての部下達でした。
武田四天王で唯一生残った春日弾正虎綱(高坂昌信)は信玄の寵童と言われています💠。
農民出身ですが、信玄の命令により、『高坂』を継ぎます。『逃げ弾正』と言われました。これはネガティブな表現ではありません。
戦いの駆け引きが巧みで、上杉謙信の領国との間に築かれた海津城を守りました🌱
長篠の戦いに敗れ、敗軍の将になった勝頼が惨めにならないように、途中まで新たな服や食糧を持って迎えにいきました。
昌信は気配りのできる男でした。
上杉氏との連携など、新たな同盟関係構築を模索した矢先に、高坂は病死します。武田氏の力はさらに弱くなっていきます。
【この記事は2020年9月16日に加筆修正をしています。】