武田24将の中でも信玄近くに仕え、活躍した武将がいました。武田四天王です。
武田家に仕えてきた譜代というより、高くない身分からの抜擢人事で重臣になっていた面子です💠。
四天王のひとり馬場信春は信玄より、7才年上でした。
本姓は『教来石』でしたが、震源に信頼され、甲斐の名門『馬場』を継ぎます。
馬場信春は戦いにあってはかすり傷無ひとつ受けない豪の者でした。織田、徳川との長篠の戦いでは信春が殿軍を務めて勝頼を逃がします。奮戦し、討ち死にします🍀
内藤昌豊は、旧姓『工藤』でした。父の虎豊は、信玄の父信虎の怒りを買います。
息子の昌豊は、国外に潜伏していましたが、信玄に呼び戻され、『内藤』性を与えられます🍀信玄の弟信繁亡きあと、武田の副将と呼ばれます。
山縣昌景は、『飯富四郎』でしたが、兄虎昌が信玄の息子『義信クーデター事件』に関与します。密告したのが昌景です。
以来、飯富家は廃されていましたが、信玄の命令により、『山縣』家を継ぎます。
昌景は外交にも力を発揮しました。
『武田の赤備え』は後に徳川四天王の井伊直政に引き継がれます🍀
(続く)
【この記事は2020年7月10日に加筆修正をしています。】