柴田勝家は信長の妹のお市と結婚したことで知られます。

勝家はもともとは織田信長の弟、勘十郎信行(信勝)の家老でした。

幼い頃から『うつけ』と呼ばれた信長に反抗した柴田勝家は信行を擁立します。信行は兄の信長に謀殺されます。先に信行が兄の信長を謀殺しようとしていましたが事前に危機を察知した信長の手にかかります。

その後勝家は信長に詫びを入れて赦され、以後は信長に忠実に仕え、織田家の筆頭家老になります。
越前の一向一揆殲滅後は越前に土地を有するようになります。

以後、柴田勝家は、北陸方面指揮官として活躍し、本能寺の変時には上杉氏と戦っており、京都に引き返して明智光秀を討つということができませんでした。

中国返しを敢行した秀吉が、明智光秀を山崎の戦いで倒し、信長の後継者として織田家での発言力を高めます。

勝家は織田家の今後を決める『清洲会議』では主導権を握ることができませんでした。

勝家は信長の妹お市の方を妻にしますが権力を高める秀吉に居城北ノ庄城を攻められます。

勝家自身はお市と娘三人を城の外へ逃がしますが自害をして果てます。

【この記事は 2020年11月25日、2021年1月14日にアクセスがありました。〜大河ドラマの影響からでしょうか】