『長宗我部』を読んでいます。
先日、司馬遼太郎氏の『夏草の賦』を読みましたので、関心がさらに湧いて読んでいます。
長宗我部氏の子孫の友親氏が書かれています🍀。氏は土佐を統一し、四国を制覇した元親の直系ではなく、元親の末弟の子孫にあたります。
長宗我部氏は秦の末裔と言われています。
秦の始皇帝の子孫を称する秦(はた)河勝は聖徳太子に仕えました💠側近で、冠位十二階の2番目の高位の『小徳』にいました。
物部氏を討伐した功績で、信濃に土地を与えられました。以後、河勝の子孫は信濃に住みます🍀。
子孫は保元の乱で敗北した崇徳上皇についたため、土佐に流されます。土佐は配流の地でした。
長宗我部を名乗ります。
『長岡』に定住した『宗我部』が、『長宗我部』になったようです🍀よく似た『宗我部』がいますが、香美郡に住んでいたので『香宗我部』と名乗ります。甲斐源氏の一族であったようです。
(つづく)
先日、司馬遼太郎氏の『夏草の賦』を読みましたので、関心がさらに湧いて読んでいます。
長宗我部氏の子孫の友親氏が書かれています🍀。氏は土佐を統一し、四国を制覇した元親の直系ではなく、元親の末弟の子孫にあたります。
長宗我部氏は秦の末裔と言われています。
秦の始皇帝の子孫を称する秦(はた)河勝は聖徳太子に仕えました💠側近で、冠位十二階の2番目の高位の『小徳』にいました。
物部氏を討伐した功績で、信濃に土地を与えられました。以後、河勝の子孫は信濃に住みます🍀。
子孫は保元の乱で敗北した崇徳上皇についたため、土佐に流されます。土佐は配流の地でした。
長宗我部を名乗ります。
『長岡』に定住した『宗我部』が、『長宗我部』になったようです🍀よく似た『宗我部』がいますが、香美郡に住んでいたので『香宗我部』と名乗ります。甲斐源氏の一族であったようです。
(つづく)