『甲陽軍艦』を書いた高坂弾正が言っています。「勝頼は強すぎる大将」だと。

高坂弾正昌信は、『武田24将』であり、『四天王』の一人でした。長篠の戦いには海津城を守って参戦していませんでした🍀。

この戦いで譜代の武将が戦死して行く中で生き残った、『武田最後の参謀』でした。

勝頼が愚将と言う評価は最近、見直されています。むしろ、信玄が亡くなってから、『10年近く』領土を保有した手腕は決して無能ではなかったと考えられます💠。

勝頼は母方の『諏訪家』を継いだため、武田譜代重臣との軋轢もあったでしょう。

信玄の遺言により、『陣代』という立場でよく頑張ったと思われます。

武田の領土は勝頼の代に最大でした。