佐竹氏は清和源氏義光流の嫡流です。
佐竹冠者昌義に始まります。
昌義の孫の秀義の時に源頼朝に攻めこまれ、陸奥に逃亡します。
しかし、秀義は頼朝に臣従をします。
8代貞義は鎌倉時代後期から、足利尊氏、直義に従います。11代には子供がなく、12代義仁は上杉(憲定)の養子でした。
これをよしとしない一族の内紛も起きます。
19代義宣は、豊臣秀吉の小田原攻め際に北条方の忍城攻めに加わります。
関ヶ原の戦いでは、石田三成の呼びかけに応じますしが、積極的に戦いに参加せず、『中立』の立場を取ります。
戦いの後、中立の立場を家康から咎められ、常陸54万石の所領は没収され、秋田久保田20に転封されます。ちなみに、水戸城を築いたのは、佐竹氏です。
江戸時代に佐竹氏は秋田からの転封はなく、明治維新を迎えます🍀。
【この記事は2020年11月24日にアクセスがあり、加筆修正をしています。】