徳川家康の6男。

伊達政宗の娘(いろは姫)婿。

越後高田藩の藩主。

松平忠輝の経歴です。徳川家康の側室の子に生まれました。

この男はなぜか父家康に嫌われます💠。

21歳で自害した長男信康の小さな時とよく似ていたからとも言われます🍀

忠輝は隆慶一郎氏の『捨子童児 松平忠輝』が有名です。キリシタンの人と関わり、医学の心得もあったよう書かれています。千姫に気に入られたとも。正当な記録には残っていませんが。

忠輝は成長するにしたがって、川中島12万石、さらに越後高田に移され、徳川一門の有力大名になっていきます。

越後高田藩では、善政を敷いたとされます。

うまく立ち回っていれば、後の『御三家』には、松平忠輝の家が入っていたでしょう。あるいは、『御四家』と呼ばれたかも知れません。

『御三家』格を形成した兄弟の順番では、『長男』になりますので筆頭格の家柄になります。

歴史にもしはありませんが、紀伊藩出身の8代将軍、吉宗は存在しなかったかもしれません。

(続く)