足利義康の曾孫の長氏が三河に土着して『吉良』を名乗り、その次男が『今川』を名乗ります。今川氏は足利一門でした。

「御所(足利将軍)が跡継ぎが絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ。」という、『江戸幕府の御三家』のようは位置付けでした🌱

今川義忠が病死した後、伊勢新九郎長氏が、室町幕府から派遣されて、今川の『軍師』として権勢を振るいます🍀

『足利の分家=今川家』の家督相続争いに勝利した伊勢新九郎(北条早雲)はその功績から伊豆を傘下に収め、のちに相模に侵攻します。

今川義忠の息子義元は室町幕府12代将軍義晴から『』の諱をもらいます。足利家の親類であった今川は、上洛しようとした際に桶狭間の戦いで討ち死にします。

江戸時代に『忠臣蔵』で、吉良上野介が浪士によって討たれた時は、『桶狭間の再現であり、屈辱』と吉良関係者が語ったとも言います。

【この記事は2020年6月15日にアクセスありました。加筆修正をしています。】