奥州藤原秀衡には、6人の息子がいました。国衡、泰衡、忠衡、高衡、道衡、頼衡です。お坊っちゃん育ちか器量はみな父に及びませんでした。

兄頼朝と不和になった義経を匿った藤原秀衡にも思惑がありました。

「平家を滅ぼした頼朝は必ずや奥州に刃を向けて来るに違いない。」

義経を奥州軍団の総大将に据えて、頼朝と戦うことを考えていたのです。しかし、秀衡は病気で亡くなります。
巨星が落ちたことで、義経の未来、ひいては藤原家の行く末にも暗雲が立ち込めることになります。

「兄弟で力を合わせて、義経を守れ。

北の王者の遺言は守られず、繁栄を極めた平泉は灰燼に帰すことになります。
後年、江戸時代の俳人松尾芭蕉が、

夏草や つわものどもが 夢のあと

と読んで藤原氏の栄光を偲びました。

平安時代、『平泉政権』は、文化的にも高度で優れていました。『奥州18万騎』と言われる軍団を抱えていました。

中央の朝廷や平家政権には貢物はしていましたが政治的には距離を保って、初代清衡、2代基衡と続き、3代目『秀衡』がもっとも繁栄していました。