毛利輝元は、中国地方に王国を築いた毛利元就の孫として生まれます。


輝元は『無能の3代目』と揶揄される人物です。

よく知られるように元就の正妻の息子である隆元、元春、隆景が力をあわせるように諭したエピソード『三本の矢』は有名です💠

かなしいかな、祖父や父や叔父が優秀であったことが、輝元を凡庸な武将にしてしまった面があります。ふたりの叔父は兄の息子を主君と仰ぎ、人がいる前では臣下として振る舞うも、一対一の前では鉄拳制裁も辞さなかったと言います。

輝元の父の隆元は早くに亡くなり、祖父元就や二人の叔父からのサポートを受けた輝元は、中国地方に繁栄を築くも『毛利帝国』の苦労知らずの3代目でした。

関ヶ原の戦いでは石田三成の口車に乗せられ、西軍総大将に祭り上げられます。

石田三成が敗戦した際に輝元は、大阪城に立てこもることなく、

毛利に責任はない。大阪城から出たら、本領は安堵する。

という徳川家康の約束を信じて、大阪城を出てしまいます。総大将にしては戦うことなく逃げ出して、情けないですね。

淀君や秀頼は大阪城にいましたから、毛利が籠城していれば、戦局は分かりませんでした。

少なくとも、15年後の大阪夏の陣より、籠城作戦は有利でした。豊臣恩顧の大名も大阪城を攻めることはなかったでしょう。戦局が長引けば、長引くほど城を囲むほうが不利になります。

2014年大河ドラマ『軍師官兵衛』では、俳優の中尾彬さんが、輝元を演じておられました。

番組終盤で、「あのとき、わしが大阪城を出なければ。」と官兵衛に語っていたシーンが印象的でした。

本郷和人氏による『失敗の日本史』に毛利輝元も登場します。

【この記事は、2020年8月18日、2021年4月3日、5月1日にアクセスがありました。加筆修正をしています。】