あるとき、江戸幕府5代将軍綱吉が紀州徳川家を訪問します。

吉宗の2人の兄が綱吉に拝謁しますが、4男吉宗は蚊帳の外。控えの間にいました。

将軍綱吉に同伴した老中の大久保忠朝が綱吉に言います。

「当家には、もう一人男子がおられるはず。」

控えの間にいた吉宗(幼名源六)は将軍綱吉に拝謁します。

まさに、『歴史が動いた瞬間』です。

吉宗は紀州徳川光貞の4男でありながら、2人の兄が相次いで亡くなり、23歳で5代紀州藩主になります。

父の光貞も亡くなり、わずか5ヶ月の間に紀州徳川は前の当主も含めてバタバタと亡くなります。

あまりの偶然の重なりから、吉宗の隠謀説がささやかれています

紀州藩主時代は、『享保の改革』に近い改革を行います。

紀州徳川家は御三家とは言え、藩の財政は火の車でしたが吉宗は見事に立て直します。

見事に立て直したことで、吉宗は7代将軍死去の際に尾張藩に先立ち、有力な将軍候補になります。