中国地方の戦国大名小早川隆景は、秀吉から重用され、陪臣でありながら、伊予と筑前を貰い、大名となります。


主人で甥の輝元がいる部屋の前を通るときには不在であっても頭を下げて通過をしました。
なかなかできることではありません。

一方で、部下が見ていないときには輝元に鉄拳制裁もしたと言われています。


隆景には、10人いる兄弟の中では

最も父元就に性格が似ていると言われます。
隆景は、すぐ下の弟で元就4男元清(穂田家)を可愛がり、また、末弟の秀包を養子にしました。

隆景は、毛利の屋体骨

でした。毛利が父元就の在世時より、広大な土地を領有し続けられたのは並み大抵のことではありません。


隆景の死後は、毛利の力が衰えていきます。

関ヶ原の戦いでは、甥の毛利輝元が西軍大将に祭り上げられます。

隆景の養子小早川秀秋が裏切りが、徳川家康を勝利へと導きます。

隆景は、草葉の陰からどんな思いで毛利を見ていたことでしょうか❔🍀