鎌倉幕府最後の執権は赤橋守時(16代)です。

北条一門で、『赤橋家』は江戸時代の御三家のような家柄です。

本来、守時は分家出身でしたが、本家の高時(14代)が引退した際に執権に抜擢用されます。(15代は数ヵ月で辞任)

守時の妹の登子は、足利尊氏に嫁ぎます。
後に足利尊氏は鎌倉幕府を裏切りますので、北条一門から白い目で見られた人物です。

守時は鎌倉幕府滅亡の最後の戦いで奮戦し、力尽きます。

登子は、鎌倉幕府を倒した尊氏の3男義詮(鎌倉幕府2代将軍)、4男基氏(関東管領鎌倉公方初代)を生みます。

足利家は代々、鎌倉幕府に仕え、『得宗』と呼ばれる北条本家から、妻を迎えていました。北条家は身分が低かったので、源氏の名門足利を味方に引き入れ、厚遇しています。両家にとって思惑がありました。

尊氏の父貞氏も、北条一門から妻を貰っていましたが子供が生まれなかったので、上杉家から妻を迎えました。

この上杉家の娘から生まれたのが、足利尊氏、直義兄弟です。

足利兄弟の母親が北条一門でなかったのが、鎌倉幕府打倒理由にもつながりそうです。