徳川家康は豊臣家の五大老筆頭として関ヶ原のたたかいを戦っています。決して、『徳川家対 石田三成』ではなかったのです。徳川家だけで戦ったわけではありません🌱。
また、『東軍』、『西軍』という言い方もなく、関ヶ原の戦いは、いわば『豊臣家の内紛』でした。
戦いの後に、徳川家康が大阪城に乗り組む場面がドラマで描かれますが違うようです。
大阪城西の丸を受け取ったのは、豊臣恩顧の黒田長政、藤堂高虎であって、家康ではありません。家康は勝者でしたが堂々と大阪城に乗りこめたわけではなかったのです。
戦いの論功行賞も諸大名に口約束だけで書状を出していません。土地の任命権を出したくても出せなかったのです。建武の新政の足利尊氏に似ています。
あくまで『公義』= 武士の最高権力は、豊臣秀頼にありました。
笠原先生が指摘をされています💠。
また、『東軍』、『西軍』という言い方もなく、関ヶ原の戦いは、いわば『豊臣家の内紛』でした。
戦いの後に、徳川家康が大阪城に乗り組む場面がドラマで描かれますが違うようです。
大阪城西の丸を受け取ったのは、豊臣恩顧の黒田長政、藤堂高虎であって、家康ではありません。家康は勝者でしたが堂々と大阪城に乗りこめたわけではなかったのです。
戦いの論功行賞も諸大名に口約束だけで書状を出していません。土地の任命権を出したくても出せなかったのです。建武の新政の足利尊氏に似ています。
あくまで『公義』= 武士の最高権力は、豊臣秀頼にありました。
笠原先生が指摘をされています💠。