本多正信が再び家康に仕えたのは、本能寺の変の直前であったと言われています。
正信は戦場の働きより、智略、謀略に優れていて家康に重用されました。

本多正信自身、自分が同僚からよく思われていないことは承知していました。

長年の功績が報われ、相模玉縄で1万石で大名になります。
正信は家康から加増されようとしても、『万石』の土地だけでよいとし、それ以上の加増は願いませんでした。
『大祿を食むと身が危なくなる』=まわりから妬まれることをよく知っていました。

正信は謀略家で、加賀前田家に謀叛の疑いをかけました。関ヶ原の戦い後は外様大名を懐柔して、潰していきます。
家康を支え続けて、家康の亡くなった後、3ヶ月後に後を追うように亡くなります。

長男正純は政争に巻き込まれて出羽に流されます。『父の遺言を守らず、10万石加増』を受けてしまい、まわりから嫉妬されたからです。

ちなみに正信の次男政重は会津上杉の直江兼続の娘婿になります。
のちに妻が亡くなると直江家を去り、前田家に仕えます💠