豊臣秀吉は身長140センチメートル。当時の平均身長が、153センチメートルと言われているので、かなり小柄です。
主君、信長からは、
「サル」
「ハゲネズミ」
と呼ばれていました。
宣教師ルイス=フロイスの日本史には、「薪を売って生活していた。」とあります。
『日本教会史』には、「木こりだった。
」とあります。秀吉の生い立ちには、『貧農の生まれ』あるいは、『そこそこの豪農だった。』という説もあります。
藤吉郎秀吉は10代で織田信長に仕えて、近江長浜城主、西国方面司令官と出世して行きます。
毛利との戦いの最中に起きた『本能寺の変
』が、秀吉の人生を好転させました。
関白や太政大臣となり、権力者の階段を駆け上がります。女性が好きで、上記の『日本史』には、「側室が16人いた。」とあります。
特に、家格の高い女性を側室にしました。
主君信長の妹お市の方の忘れ形見、淀君や、同じく姪の三ノ丸殿です。京極高次の姉龍子も美貌の誉れ高く、側室にしました。