大野治房は腕っぷしが強く、故に真田信繁や後藤又兵衛と気があったと言われる人物です。

兄の治長は豊臣秀頼の母親淀君と乳母兄弟でした。実は、『秀頼の本当の父親は大野治長』ではないかと言われる人物です。

関ヶ原の戦いで石田三成が挙兵して敗北。

代わって城内を取りまとめたのが大野治長でした。力量では石田三成より格段に落ち、まわりからの評判は芳しくありません

豊臣家存続を誰よりも願うも、治長に大局を操れる力量はありませんでした。最後まで『淀君と秀頼の助命』に奔走するも大坂城は落城します。

弟の治房は淀君を助けようとして向かうも火の回りが早く救出できませんでした。

そのまま敵の隊を突っ切り逃亡して、行方をくらまします。
幕府は関ヶ原の戦いから30年経過しても、大野治房に懸賞をかけたと言われています。