本多忠勝は、大河ドラマでは、藤岡弘、さんが熱演されていますね。

平八郎忠勝は、主君徳川家康より、6歳年下です。先祖代々徳川(松平)家の家臣でした。平八郎忠勝は、戦に強く、生涯57回の戦いで一度も傷を受けなかったと言われています。

織田信長からは、『花も実もある武将』

豊臣秀吉からは、『天下無双の大将は、西の立花宗茂。東の本多忠勝。』と激賞されました。

世間からは、『家康に過ぎたるものが二つあり。唐の兜に本多平八。』
まさに歴戦の強者でした。

長篠の戦いで武田が衰退し始めると

「武田は惜しい武将をたくさん亡くした。これからは合戦で血が踊るようなことはあるまい。」

と家臣に言ったとあります。
武田家の強さをよく知っていた武将です。

関ヶ原の戦いでは自らは軍監となり、旧豊臣系の大名の戦い振りを見ていました。
戦後は、娘婿の真田信幸に肩入れし、西軍についた真田昌幸、信繁の助命に動きます。家康は、真田父子を切腹させようとしていました。助命するとはなかなか言いませんでした。

平八郎忠勝は、「(家康が、)そこまで言われるなら、仕方ない。それがしは真田を支援し、上田城に立て籠る。」と言いました。
本多平八郎にそこまで言われると、さすがの家康も命を助けざるをえなくなります。
おかげで真田父子は助命され、高野山に追放されます。

忠義者の忠勝の言葉にこうあります。

「しにともな  ああしにともな  さりとては  君の情けぞ いまはうらめし」

手柄など立てなくてよい。城を落とさなくてもよい。ただ、主君が武運拙く城を枕に死ぬときに一緒に死ぬ。それが家臣の本当の在り方だと。