榊原康政は徳川四天王の一人で猛将でした。
主君家康より、6歳年下。同じ徳川四天王の本多忠勝とは同じ年です。二人は親友でした🍀

初名を『小平太』と言い、初陣で大活躍をします。初陣で活躍して、家康より『康』の偏諱を受けたのは家中にあって榊原康政だけです。

康政は豊臣秀吉と徳川家康が戦った『小牧長久手』で活躍し、秀吉を挑発しました。

秀吉が農民出身であることをわざわざ高札に書いて立てたり、諸軍に手紙を書いたりしました。
これを知った豊臣秀吉は怒り狂い、「榊原康政を生け捕りにするか、打ち取れば、十万石を与える。」と言いました。

関ヶ原の戦いでは秀忠に付き添い、中山道で真田父子に苦戦します。家康は遅れた秀忠に怒り、対面を許しませんでした。
康政は秀忠を庇い、「ついていた自分たち重臣にも非がある。」と言います。

豊臣氏が滅亡すると、秋田出羽に領地を貰います。
榊原康政は猛将でしたが、知略に長けていた訳ではないので、幕政に関与することはありませんでした。