新羅三郎義光の曾孫にあたります。
信光は末っ子だからでしょうか、立ち回りがよく、失脚・没落して行く兄たちを尻目に武田の総領になります。
父の武田信義は兄光長とは双子であったと言われています。
長男光長が逸見氏を名乗り、次男信義が武田氏を名乗りました。
『武田』は戦国武将の武田信玄が登場し、ビッグネームなので名門と思われがちですが、鎌倉時代は、『板垣』、『小笠原』、『辺見』と同じ甲斐源氏の中心だったのです💠
甲斐源氏武田氏の後を継いだのが信義五男石和五郎信光です。
甲斐源氏武田氏の後を継いだのが信義五男石和五郎信光です。
信光は末っ子だからでしょうか、立ち回りがよく、失脚・没落して行く兄たちを尻目に武田の総領になります。
鎌倉幕府初代将軍源頼朝にたいへんかわいがら、結果として、信光がその後の武田家発展に尽くします
信光の長男『朝信』は、『頼朝』の『朝』の一文字をもらっています。

信光の長男『朝信』は、『頼朝』の『朝』の一文字をもらっています。
若くして亡くなり、かわって後継者になるのが3男信政です。母親が源義平(頼朝の兄)の娘と言われています。頼朝からすると甥にあたります。
『信政』は執権北条時政から『政』の一字をもらいました。将軍家、執権家とのつながりを持ったことで、甲斐の武田家は発展し、甲斐守護とは別に安芸守護になります。
『信政』は執権北条時政から『政』の一字をもらいました。将軍家、執権家とのつながりを持ったことで、甲斐の武田家は発展し、甲斐守護とは別に安芸守護になります。
安芸は今の広島県で、平清盛が国主を務めていました。
安芸武田が本家だった時代があります。
【この記事は2020年7月8日に加筆修正をしています。】
安芸武田が本家だった時代があります。
【この記事は2020年7月8日に加筆修正をしています。】