本多平八郎忠勝は徳川四天王のひとりです。勇猛でしたが、単なる猪武者ではなく外交も得意でした。

関ヶ原の戦いの時には、井伊直政とともに豊臣方の大名に対して徳川に味方するよう促します。戦いの後、伊勢桑名に領土をもらいました。

関ヶ原の戦いで西軍の負けた大名は土地を取り上げられたり、他の土地に移されました。外様大名は江戸や関東から離れた九州や東北に置かれることになります💠

日本列島で最もくびれているのが、彦根、伊勢桑名の間です。家康は彦根に『赤備え』で有名な井伊直政を置き、伊勢桑名に本多家を置きました。

西国に置かれた外様大名が、江戸幕府打倒をめざし、大結集して、江戸に向かった場合、『東国の入口』にあたるのが、彦根、伊勢になります。家康は領地の人員配置も、『戦いの布陣に見立てた』と言われています。

徳川四天王の2人を置いたのは先鋒を務めたからです。期待に応えた井伊家は上級譜代として、大老を輩出する家柄になります。

また本多忠勝の孫は姫路城主にもなります🌱