本多忠朝は、『徳川四天王』のひとり、本多忠勝の次男として生まれます。

父の忠勝は、
「家康に過ぎたるものが2つあり、唐の兜に本多平八」
と言われるほどの勇将でした。

本多家は、徳川(松平)の譜代で通称を『平八』と言いました。

ちなみに、忠勝の祖父は松平広忠(家康の父親)が織田信秀との戦いに破れたときに

主君の身代わりになって死にました。
父の平八も三河の内乱を治める戦いに参加して、討ち死にしています。
主君に忠実すぎる本多一族です。

忠朝は、父の所領上総大滝を継ぎます。関ヶ原の戦いに参加しますが酒を飲みすぎた

所を襲われ、逃走します。

家康からは、
「お前は本当に平八の息子か」と叱責されます。

大阪冬の陣では、豊臣方の毛利勝永と戦い、討ち死にを遂げます。
戦いの前に酒を飲みすぎたことを悔やみ、家臣達に戒めています。忠朝を祀った神社が

大阪にあります。

忠朝に関するよいエピソードをひとつ。
父の忠勝から譲られた遺産一万五千両を受けとることを断り、広い領地を持つ兄に遺産を

まわすように言ったようです。

兄の忠政も、「父の遺言だから、受け取らない。」と譲らず、結局兄弟で

折半したと言われています。

相続で揉めることも多いのに、うるわしき兄弟愛ですね。
生真面目な本多気質を感じます。