徳川家康の祖父松平清康は勇将として名前を馳せ、三河国の統一を進めて隣国の織田や今川とも互角以上に戦っていました。


しかし、家臣に暗殺されてしまいます。

清康は、25歳でした。もしかすると、東海道の弓取りと呼ばれて、もっと早くに幕府ができた可能性もありました。


あとを継いだのが松平広忠ですが、こちらも家臣に暗殺されます。広忠は、24歳でした。この事で竹千代こと後の徳川家康は幼年期を織田や今川の人質として過ごすことになります。家康の祖父清康や父広忠の暗殺に使われたのが『村正』という刀でしたが、徳川家の不幸はこれだけでは終わりません。

桶狭間の戦いで今川義元が討ち死にしたのち、家康は今川家から離れます。尾張の織田信長と同盟します。後年、武田勝頼との内通を疑われた家康の長男信康は切腹しますが、このときの刀も『村正』でした。


大阪の陣で徳川本陣に切り込んだ真田幸村が帯刀したのも『村正』だったと言われています。『村正』は徳川家に災いをなす刀として縁起を担いだと考えられます。

真田幸村の本名は真田信繁でしたが、『幸村』の名前は『村正』の『村』に由来するという説があります。