豊臣秀吉には、4歳下の弟がいました。
大和大納言』と呼ばれた豊臣秀長です。
母親は北の政所ですが、父親は秀吉とは異なります。

秀長の名前はあまり知られていませんが、優秀な補佐役でした。四国の長曽我部攻めのときには病気の兄に代わり秀長が総大将を務めます。

台頭する徳川家康の牽制役も果たし、秀吉は、家康の地位を上げると同時に弟の秀長の地位も上げ、大納言にしました💠。

黒子に徹した秀長は、豊臣政権内部の調整役を果たしました。てましゃばらずに献身的に兄を支える姿は武田信玄の弟信繁とよく似ています。

秀長は人格者で非の打ち所がなかったと言われています。このブログに何度か登場している藤堂高虎も秀長に仕え、崇拝し、同時に経理や築城術を学んだと言われています。
何度も主君を替えて、歴戦の強者だった藤堂高虎が心服した人物ですが、それだけ秀長が魅力溢れていたのでしょう。

秀長の死後に、兄の秀吉は朝鮮の役へと向かいます。歯止めが効かなくなってしまいます。

【この記事は2020年10月22日に加筆修正をしています。】