江戸幕府5代将軍綱吉の時代に由井正雪事件が起きます。

余談ですが最近の歴史の教科書には『慶安事件』で載っています。

由井正雪による幕府転覆計画は事前に露見し、未遂で終わります。

この時に処刑された首謀者のひとり、丸橋忠弥は四国の大名、長曽我部氏の子孫とも言われています。

丸橋忠弥は槍道場を開いていましたが、由井正雪に誘われて幕府転覆計画に参加します。

忠弥の父親は長曽我部盛親という説があります。

かつては四国統一をなし得た長曽我部元親(盛親の父親)でしたが、四男の盛親の時代に衰退します。

関ヶ原の戦いで豊臣方についた盛親は領地を没収され没落します。

盛親は京都に潜伏し、寺子屋を経営していましたが、この時に生まれたのが忠弥と言われています。生まれた子供は母親の実家の『丸橋』を名乗ったようです霧

長宗我部盛親は大阪の陣で、真田幸村とともに戦い、大阪城落城後は京都に潜伏していましたが、徳川方に見付かり処刑されます。

【この記事は2020年6月5日、8月4日にアクセスありました。】