篠山城は、八上領で、豊臣系の前田茂勝がいましたが、転封します。篠山は山陰道にも通じて交通の要衝でもありました。

常陸から重要な任務を帯びて篠山に来たのは松平康重です。父親は徳川家康と言われています。

母親は家康の子どもを身ごもったまま、家来、松平康勝に嫁いだという説があります。

現在ではあり得ないことですが、武士の世界ではよくあることです。

篠山に赴任して康重は、徳川の西の拠点を作り始めます。家康も天下普請として豊臣の大名に号令をかけます。

普請総奉行は、池田輝政、縄張り奉行は藤堂高虎、中国・四国地方15か国、20の大名が普請に担ぎ出されました。豊臣系の大名の力を削ぐためでした霧

約200日で、篠山城は完成したと言われています。
康重は和泉岸和田に転封します。