身はたとひ 武蔵野の とどめおかまし 大和魂 吉田松陰の辞世の句です。

5歳から学問を身に付け、10才で明倫館で講義をしています。
また長州藩主の命令で江戸の佐久間象山にも師事しています。

幕末は海外の船が日本に押し寄せました。日本に開国をせまるためです音譜
兵法家の松陰は敵を知るために、海外へ密航しようとしてうまくいきませんでした。当初は長崎から、ロシアの軍艦に乗る予定でしたが、うまくいきませんでした。自首しますが、投獄されます。

赦免された後は叔父が作った松下村塾を引き継ぎました。
適塾のように、西洋文化を指導する訳でもなく画期的な、カリキュラムがあったわけでもありません。
集合授業はなく現在の個別指導に近いでしょう。松陰は弟子に書簡(手紙)による教育を施したとあります。また畑仕事をしながらでも教育をしました。机上の空論ではなく、実線的な教育をしました音譜

松陰は月謝は取らず、入門時に束脩を贈りました。また、松下村塾は先生と生徒が、
ともに学び会う『師弟同行』でした。
孟子にある、『妄りに人の師匠となるべらず。まだ妄りに人を師匠とするべからず
』を引用しています。

松陰は塾生のよいところをひとつ見つけて褒め、長所が際立つように指導しました。
塾生が外の世界を進んで見て来れるようにしたとも言われていますクローバー

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