徳川家康の一族を親藩、家康の先祖から代々仕えた大名を譜代大名、もともと豊臣氏に仕えた大名を外様大名と言います。

江戸幕府の大名統制策は、味方である親藩、譜代大名は江戸に近く、豊臣恩顧の外様大名は東北や九州に配置し、幕府に反乱を起こさせないように配慮しました🌱

江戸時代に儒学者の荻生徂徠が大名の配置を『鉢植大名』と言ったように、大名はしばしば領地を替えられます💠。現代の転勤に似たところがあります。

一代で3回(出戻り含めて5回)領地が替わった大名もいます。越前福井藩の松平直基です。家康の次男結城秀康を祖とする新藩の大名です。
引っ越し大名』と呼ばれた家です。

江戸幕府は大名の反乱を防止するために、『参勤交代』を命じました。大名の妻子を江戸に人質として置いて、一年交代で自分の領地と江戸を行き来させました。

大名行列は莫大な旅費や諸経費がかかりました。藩の財政は火の車でとても、謀反どころではなかったでしょう。

この『一年交代』も、幕府創始者の徳川家康が幼い頃、今川氏や織田氏の人質であったことに起因しています。

家族が離れて暮らす『一年』が夫婦や親子の情愛を感じる期間になるのだそうです。

江戸幕府は、難癖をつけて豊臣恩顧の外様大名を取り潰しにかかります。

豊臣秀吉の重臣で『賤ヶ岳の七本槍』の一人で勇将だった福島正則は関ヶ原の戦いで功績があり、安芸広島50万石を与えられます。

しかし、あることから大名の座から転げ落ちます。
幕府の許可なく、城の石垣を修理したというのが大きな理由です。

幕府は大大名の伊達や島津の転封を考えていましたが、両者は鎌倉時代からの名門で他の土地に動かしたくても、「農民や家臣の大反乱が勃発することを恐れてできなかった。」と言われています。

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『江戸幕府と鉢植大名。その③』(2020年6月20日記事)
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『江戸幕府と大名統制』(2020年12月14日記事)

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