関ヶ原の戦いでは、石田三成と徳川家康が戦います。

官兵衛はどちらの味方にもつかず、傍観を決め込みます。
勝利者が疲れているところに決戦を挑み、『天下を奪う』という算段で、大河ドラマは、進んでいます霧

『官兵衛に天下をとる気持ちがあったか?』は、よく問われます。

一説によると官兵衛が、「天下を奪うのは簡単である。」と言ったとあります。
わたしは、官兵衛にそこまでの大局観はなかったと考えます。
九州を制覇して、『地方の大勢力』として、天下人を牽制するくらいは、考えていたでしょう。

官兵衛の天下取りに対してのひとつのエピソードです。

官兵衛の息子長政は関ヶ原の戦いで徳川家康に味方し手柄を上げたので、筑前中津に52万石を与えられますクローバー

長政が家康からほめられたことを官兵衛に事を告げると、
「家康が、そなたの手を握ったのは右手か左手か?」と聞きます。
長政が、「右手でした。」
と答えると、

「では、そのときに、そなたの左手は何をしていた。家康を殺せば、わしが天下を奪うことができた。」
と言ったと言われます。

官兵衛は天下が定まった後は、福岡中津にの三ノ丸で悠々自適に老後を過ごします。

思いおく  ことのはなくて  つひにゆく

                    道はまよはじ  なるにまかせて

享年59才。


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