羽柴筑前という官位は、領国とは関係がありません。官位と実際の領国は安土時代には、すでに形骸化しています。

羽柴秀吉が、『筑前』を名乗ったのは、主人の織田信長が九州を考えていたためです🍀。
同じく部下の明智光秀にも、『日向守』(宮崎)を名乗らせました。

毛利攻略後は九州を平定し、羽柴秀吉と明智光秀に、九州の領国を与えるためと考えられます。

小谷野氏はつぎのように指摘されています。

上総、上野、常陸は親王(天皇の子供)が名乗る官位であるので、一時『上総守』を名乗った織田信長が『上総介』に改めたことも、書いておられます。

【この記事は2020年8月27日に加筆修正をしています。】