義朝は頼朝の父親です。五歳年下の平清盛のライバルでした💠。

義朝は京都生まれですが、当時は平家が権力を持ち始め、藤原摂関家に近づいていました。

義朝は源氏を再興すべく関東に下向しました。義朝は相模、下総や上総、安房など、傘下に収めて、『上総の御曹司』の異名をとります。

関東で着々と、人脈を築き上げ、上総の有力武将の千葉氏が後見人となり、義朝を支えました。

しかし、朝廷からは、義朝に地位は与えられず、無位無冠でした。

最近の研究では、源氏の跡継ぎとして指名されていたのは、弟の義賢(木曽義仲の父)であったと言われています。関東に下った義朝より摂関家に近かった義賢の方が源氏を継ぐものとして評価が高かった時期があるようです🍀。

この点は元木泰雄氏が指摘されています。

義朝は、『平治の乱』では、平清盛と戦って破れ、関東に逃げていく際に、立ち寄った尾張で部下に裏切られ討ち死にします。




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