高坂弾正昌信。武田四天王のひとりです。
春日虎綱が本名です。百姓の家に生まれますが、武田信玄に見いだされます。信玄の小姓でしたが、優秀でしたので侍大将に抜擢されますクローバー

高坂弾正は、情報戦略に強く、『逃げ弾正』とも、呼ばれました。決して、腰抜けという意味ではなく、『引き際を知っている』ということです。

高坂昌信は武田四天王の中で唯一、長篠の戦いには参加しませんでした。越後の上杉謙信を牽制するために、『海津城』の城代を務めました。

勝頼が長篠の戦いに負けて甲府に戻ってくる際に昌信は、途中まで迎えにいきました。
新しい武器や鎧を持って行き、勝頼を勇気づけ、敗軍の見苦しさをまぎらわせました💠

高坂弾正は上杉家との同盟交渉にあたりますが、その途中で病死します。
武田家最後の重鎮の死は、ついに武田家滅亡へと向かわせます。

歴史書『甲陽軍艦鑑』は武田家の歴史、信玄やその父信虎のことを書いた書物で、高坂弾正の手によって書かれました。



Android携帯からの投稿