僧侶でありながら、軍師、政治家と複数の顔を持った人物。今川家に仕えた、雪斎禅師です。

徳川家康に学問を教えた人物』とも言われていますが、2人に直接の接点はありません霧

雪斎は、今川家の重臣である庵原氏の子どもに生まれました。次男であったため、駿河の善徳寺に入り、出家して仏道修行に励んでいましたが、主人今川氏親の命令で5男義元の守役になりましたいて座

義元の兄で当主の今川氏輝が亡くなり、義元と異母兄の恵探との間に、『花倉の乱』が起きます。
このとき、義元の軍師を務めたのが雪斎です。

勝利を治めた義元が今川家の当主になった後も、外交に手腕を発揮して、甲斐の武田信玄と相模の北条氏康との三国同盟締結に尽力しました。

また、織田の人質になっていた松平竹千代(徳川家康)を取り返したのも、雪斎です。織田に戦いをし仕掛け、織田信広(信長の兄貴)を生け捕りにしました。

織田信広との人質交換で、竹千代を今川に連れてきました。

雪齊は義元の名軍師でしたが、桶狭間の戦いの5年前に亡くなっています。

もし、雪斎が生きていれば、『桶狭間の戦いで』ことはなかったかもしれません。
今川かちゅうにあって、なくてはならない人物でした🍀。


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