中国地方の戦国武将、小早川隆景には、実子はなく、一番下の弟の秀包を跡継ぎに決めていました。

この弟は毛利元就の11男にあたります。

毛利三本の矢』で有名ですが他にも兄弟はいたのです。それはさておき。

豊臣秀吉は中国地方に強大な勢力を誇る毛利家をほろぼそうと画策していました🌱

当時、毛利家の当主輝元には子どもがいませんでした。ここに目をつけた秀吉は、甥の金中納言秀秋を毛利輝元の養子にしようとします。

戦いではなく、御家乗っ取りで、大国の毛利家を『潰そう』としたわけです。

小早川隆景は本家の毛利を守るために、秀吉に対して

「わが息子秀包を跡継ぎから外しますので、秀秋様をわたしの養子にください」
と申し出ますクローバー

小早川家も毛利名門であったため、秀吉は、喜び、そのようにしました。
こうして隆景は見事、毛利家の危機を救いました。

しかし、隆景の後を継いだ小早川秀秋は愚純な武将でした。関ヶ原の戦いで石田三成が率いる西軍を裏切ります。

この裏切りが当初優勢だった西軍の足並みを乱し、やがては崩れていきます。

特に、秀秋が攻撃をかけた大谷刑部隊の武士たちは最後まで必死の防戦をし、裏切った秀秋に恨みの言葉を叫びながら、死んでいきます。

秀明は自らの裏切り行為がよほど堪えたのか心を煩い、関ヶ原の戦いから2年で亡くなります。

秀秋に跡継ぎがいないという理由で、小早川家は断絶となります。

結果的に豊臣秀吉の思惑通りになってしまったのです。






















































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