加賀100万石の前田家は、外様大名としては、破格でしたので、江戸幕府からは、警戒されていました💠

2代藩主利長(利家の長男)は、幕府と衝突しないように神経を使いいました。
利長は、父利家の死後、豊臣政権の五大老に就任するほどの実力者でありましたが、世の流れには勝てなかったのでしょう。

江戸幕府に従う姿勢を表明するために、母のおまつ(芳春院)を人質として差し出しました。ここに、2代藩主の苦悩が見えます。

利長のあとを受けて3代藩主になったのは、利長の弟利常です。ふたりは兄弟ですが、31歳の年の差がありました。

利常は、名君として称えられていますが、幕府から警戒されないように、『暗愚を装っていた。』と言われています🍀

鼻毛を伸ばして、服装もだらしなくしていたそうです。しかし、利常は、頭がよく、政治手腕もありました。
加賀藩主は創業父子のたゆまぬ努力の甲斐があり、江戸時代を通して、見事に『外様大名』として生き残ります。

100万石の基礎を築いた一人が、『鼻毛を伸ばしたとのさま』前田利常でした。