『影武者』は、黒沢監督の映画にもなりました。

よく知られるように武田信玄には影武者がいました。
信玄はわかいころから、持病があり、それを敵に勘づかれないため、または、純粋にあざむくために、影武者が立てられました。

容姿が似るとなると、影武者の候補は親族になります。
信玄のつぎの弟の信繁は同じ母親から産まれていますが、信玄とは外見が似ていませんでした。

次の弟の信廉が信玄と似ていて、影武者をつとめました。信廉は、戦いより文化人で父の信虎や母親の肖像画を描いたと言われています。この写真は現存しています。

信玄の死後は、信廉がなりすまし、他国からの使者に出会いました。このために他国は信玄が本当に死んだかどうかが、なかなか判断がつかなかったようです。

信廉は兄信玄の死後は一族の長老として甥の勝頼に仕えます。
武田氏滅亡時には織田信長に捕らえられ斬首されます。