信君は合戦では信玄の本陣を守る重職を担当し、親類衆筆頭でもありました。
武田信玄にかわいがられ、『武田』の名字を名乗ることも許されていました
公文書では『武田信君』とも、名乗っています。
長篠の戦いで武田が敗北し、衰退する中で主家を裏切り、徳川家康に降参します。この信君の行動は武田の滅亡を早めてしまうのです。
本能寺の変の時には、徳川家康とともに大阪の堺にいました。本国に逃げ帰る途中で、残党狩りにあい、殺害されます。
公文書では『武田信君』とも、名乗っています。
長篠の戦いで武田が敗北し、衰退する中で主家を裏切り、徳川家康に降参します。この信君の行動は武田の滅亡を早めてしまうのです。
本能寺の変の時には、徳川家康とともに大阪の堺にいました。本国に逃げ帰る途中で、残党狩りにあい、殺害されます。
これには、徳川家康の暗殺指令がくだっていたと言われていますが、真相は闇の中です💠
信君の息子勝千代も武田を名乗りましたが、16才で早死にします。
結果、武田家も穴山家も断絶します。
武田氏を再興したのは、徳川家康の5男信吉でした。
【この記事は、2020年9月18日に加筆修正をしています。】