北条氏規については、フムフム歴史の第3回記事に書きました。
ちなみに記事テーマは当初、『フムフム歴史』ではなく、『歴史フムフム』でした。

この記事と合わせて、ご覧ください🌱。

氏規は北条氏康の5男として生まれます。

小田原北条4代目の家督を継いだ氏政と同腹と言われています。今川との同盟の証として、人質に出され、同じく人質の徳川家康と気が合い、仲が良かったと言われています音譜

氏規の父親の氏康と今川義元は従兄弟同士でしたで親戚のうちに修行に行くという感じでしょうか。

桶狭間の戦いに破れた今川氏は衰退していき、氏規は人質の身柄を解放されて小田原に帰ります。

氏規は戦場での働きより外交が上手でした。
小田原北条の一門でありなから、室町幕府の奉行(直臣)でした。13代将軍足利義輝からの規に宛てた書類が残っています🍀。

織田信長や豊臣秀吉が登場し、戦国も終焉へと向かう中、氏規は先の見える男でした。

関白になった秀吉は小田原北条氏に臣従を求めます🍀北条氏は関東の名門のプライドからか、豊臣秀吉に屈することはできずに、籠城戦を決めます。

戦いの後、氏規は甥で北条氏5代目の氏直とともに高野山に追放されます。1年後に赦免され、大阪の狭山に、北条氏を再興します。

【この記事は、2020年5月27日、6月28日にアクセス加筆修正をしています。】