徳川家康は、幼い時は、今川義元の人質でした。

成人してからは、『元康』と名乗り、今川義元の姪、瀬名姫を最初の妻に迎えました。

長男は信康と言います。

信康は、頭脳もよく、将来を期待される若武者でした。

しかし、織田信長から、『武田勝頼と内通し、謀反を起こそうとしている。』と、疑いをかけられます。

信康は切腹して果てます。21歳でした。

一説によると、信長は自らの嫡男信忠より、信康の器量か上であったため、将来を憂いての判断であったと言われています。

後年、関ヶ原の戦いの時に、苦戦をしいられた家康は部下にこう言います。

「長男の信康が生きておれば、わしは老体に鞭打って兵を率いらずにすんだ。」

信康は、父親からそれほどまでに期待されていました。短い人生を散らすには、惜しい武将でした。