天智天皇は、歴史の教科書では中大兄皇子の名前で登場します。

『葛城』が本名で、『中大兄』は、『2番目の兄』を意味します。

645年に、『大化の改新』と呼ばれるクーデターによって蘇我氏を倒し、政権を天皇に戻しました。

そこから、中大兄皇子が没するまでは、27年間ありますが、天皇として職務に就いたのは晩年の4年間だけです。

それまでは『称制』として政権の中央にいました。朝廷において、実質ナンバー2で、のちの『摂政』の役割です。

『葛城』がなかなか天皇にならなかったのは、理由があります。

前の天皇の后と密通していたとか、唐(中国)や新羅(朝鮮)との戦いに敗れて、即位の機会がなかったとも言われています。

天皇になってからは滋賀の近江に都を設けて、政治を行いました。

天智天皇の死後に、息子と弟の間で後継者争いがおきます。
『壬申の乱』と言います。

この場所は、1000年あとに、『関ケ原の戦い』が起きた場所です。