後白河法皇は、鳥羽天皇の第四皇子として生まれます💠。

兄の崇徳天皇との争いがやがて武士を巻き込んだ、保元の乱になります。

後白河法皇は『今様(和歌)』を愛していました。

後白河法皇は文学に造詣が深いだけでなく、政治力を駆使しました。

源頼朝に『当代随一の大天狗』と呼ばれるほど、表裏がありました。

後白河法皇は平清盛の政治権力利用されつつも、平家を利用し、衰退すると源氏の力で滅ぼそうとします。

平家滅亡後、源義経に位を与え、兄の頼朝と戦わせようとします。

結果、義経は兄から嫌疑をかけられ、釈明は通らずに奥州に逃れ、悲業の最期を遂げるのです。

後白河法皇は常に武士の力を最大限利用していました。キャスティングボードを握っていたのです。

鎌倉幕府創立者の源頼朝は、後白河法皇存命時には、征夷大将軍にはなれませんでした。