小田原北条氏三代目、氏康には、子供がたくさんいました。
男子だけでも9人はいたとされます。
長男新九郎は早死に、次男氏政が北条氏4代目を継ぎます。

豊臣秀吉による小田原征伐が始まろうとするとき。
当主氏政、三男氏照、四男氏邦が降伏せずに戦う強行論者。
五男氏規は、早くから中央政界の動きに、敏感でした。
織田信長から豊臣秀吉が台頭する中、時代の流れを読むのに優れていました。
氏規は戦わずに降伏を進言しました。家が倒れないために有利な内に交渉しようとしたのです。

結果、小田原征伐が始まり、北条氏は敗北。
責任者の氏政は処刑。すぐ下の弟、氏照は殉じます。
逆に四男氏邦は途中で降伏して征伐軍の先鋒を務めたと言われます。

兄弟に向かって、よくそんなことができたなと思いますクローバー

北条氏の血脈を保ったのは、氏規でした。詳細は、フムフム歴史にも書いています。