鎌倉幕府創設者、源頼朝は人生に何度もピンチがありました。
まずは自らの初陣であった平治の乱。
戦に負けて父や兄弟が戦死する中、頼朝は命を救われます。
しかも敵の大将平清盛の母親の一言で。
頼朝は流人生活とはいえ、牢屋に入れられていたわけではありません。ある程度生活に自由がありました。
平家打倒の狼煙が上がったのは、34歳のとき。
後白河法皇の息子以仁王の院宣が諸国の源氏のもとに届けられます。
頼朝はわずか約50名の手勢で平家の大将、山木兼隆を倒します。
石橋山合戦では敗戦し、大木の穴の中に隠れていました。味方はわずか7名。
平家の大軍に囲まれましたが、助かります。
この時も平家の大将が見逃します。
平家滅亡後。
弟の義経が東北に逃れ、奥州藤原氏と鎌倉が一大決戦になりそうな時がありました。
藤原家の当主、秀衡が亡くなります。
義経を差し出すように言われた藤原氏は義経を襲撃し、討ち取ってしまいます。
秀衡死後は藤原氏は、あっさり滅ぼされてしまいます。
何かを持ってる男というのはここぞという時、必ず天が味方します。
【この記事は2021年6月9日、2022年4月28日に加筆修正しました。】