先日、読みました、『頼朝の弟たち』の短編に『一族を遺した女』というのがあります💠。
物語の主人公が語るに、「鎌倉幕府3代執権泰時は源頼朝であるかもしれない。」』と述べています。事実ではないと思いますが可能性はゼロではありません。
前例があるからです。
鎌倉幕府初期に宿老のひとりであった安達景盛は、『頼朝の隠し子である』とする説があります。
景盛の父安達盛長は頼朝が流人時代からの頼朝の家来でした。頼朝とは苦労をともにした仲間です。
頼朝と安達景盛の母は恋仲でしたが、妻の北条政子の目をはばかり、頼朝の子供を妊娠した妻を安達盛長に嫁がせたと言われています。
事実であるならば安達景盛と二代将軍頼家は腹違いの兄弟ということになります。
頼家と景盛は犬猿の仲でした。将軍になった頼家は、安達景盛をたびたび挑発します。安達に謀反を起こさせて、つぶそうと画策します。
頼家は安達の妻に横恋慕したのです。
一触即発でしたがこの事態を収めたのは、北条政子でした。
「安達を処罰するなら、先に私を斬りなさい。」と頼家に言ったのです。
どろどろした人間模様です。
昼ドラが鎌倉時代にもあったのです。
頼家は安達を中心にした御家人達によって将軍職を奪われます。
安達氏は北条の支配体制の下、力をつけて代執権貞時のときに、『霜月総動』を起こします。
安達氏にすると自分たちには、『頼朝の血が流れている』。そんな思いが、自の行動を傲慢にしたとも言えるでしょう。
頼朝の隠し子説は、結城朝光や島津忠久にもあり、いずれまとめて書く予定です。