細川重男氏が書かれた本を読みました。

わたしは大学時代に中世軍記を専攻していましたので、おもしろいです。

鎌倉幕府二代執権の義時は北条時政の次男として生まれます。

源頼朝の平家打倒の旗揚げから協力し、鎌倉幕府成立まで尽力します。

義時は北条氏の本流ではなく、分家の江間氏を継いでいました。『江間四郎』を名乗ります。
初代執権の時政から後継者指名をうけていたのは、義時ではなく、義時の次男朝時でした。

要するに、時政は次男より孫がかわいかったというわけです。

義時は父の時政との関係が悪化していたこともあり時政を引退させてしまいます。

時政の館のあった『名越』を苗字として名乗った朝時やその子孫と北条氏本家とは後々もしこりが残ったのです。

8代執権の時宗も次男で兄時輔と確執があったようです。

時輔は、『二月騒動』で殺害されます。
理由があります。

元(中国を支配したモンゴル人の国)を撃退し、西国を取り締まっていく中で、勢力をのばし、御家人を統制していた時輔の力を幕府が警戒していたというのです。

時輔は六波羅探題の長官であり、権力が巨体化することで幕府に敵対するのではないかと、恐れられたのです。