鎖国をした幕府は、黒船の出現により、開国に向けて、アメリカと『日米修好通商条約』を結びました。2つのポイントがあります。


①領事裁判権がない=外国人が日本で犯罪を犯しても裁けない。


②関税自主権=輸出品に税金をかけられないという日本にとって、不平等条約でした。
後になって、フランスやロシアとも同じ内容の条約を結びます。

朝廷はこの条約を承認しなかったのに幕府の大老である井伊が勝手に結んだのです。
強硬な態度を取る幕府には不満の声が上がります。

井伊は、反対派を次々と処罰していきます。松下村塾を作る、吉田松陰や橋本左内らです。

これを『安政の大獄』と言います。


恐怖政治を断行する、井伊は水戸の下級武士に暗殺されます。『桜田門外の変』と言います。


経済の混乱を招いた外国を追い払おうとして、長州藩主や薩摩藩による、攘夷運動が盛んになります。

長州藩は下関を通過するイギリス艦隊を攻撃し、単独でイギリスと戦います。

薩摩藩も、行列を横切ったイギリス人を殺傷した、『生麦事件』を起こします。怒らせたイギリスとの戦いを『薩英戦争』と言います。


外国の強さを目の当たりにした両藩はともに富国強兵の道を探って行き、倒幕への意を強めていきます。


【この記事は2021年3月25日にアクセスがありました。】