江戸の三大改革の一つ、『寛政の改革』を老中として主導したのは、松平定信です。
意外に知られていませんが定信は、八代将軍の徳川吉宗の孫にあたります。

父は田安宗武といい、吉宗の次男に当たる人です。
『田安家』を起こした宗武の7男として生まれた、定信。
兄たちが亡くなっていたので、実質3男でした。

定信は幼少期から、聡明でしたが、陸奥の白河藩主、松平定邦の養子に出されます。
もし、定信が養子に出ていなければ、11代将軍になる可能性がありました。

田沼意次という、わいろ政治で有名な老中の策略により、定信は将軍になることはできませんでした。

定信は白河藩主時代から優秀で、名君と呼ばれていましたので、将軍にできないよう、田沼が裏で画策したと言われています。

定信は将軍にはなれませんでしたが、30歳で老中に就任します。
老中首座、将軍補佐として幕府政治を切り盛りしました。
定信の改革のひとつに、『囲い米』があります。飢饉に備えるため、穀物の備蓄を命じました。
また、治安対策として、家がない人や、いまでいう、フリーターに『職業訓練』を行っています。
しかし、倹約が厳しすぎて庶民から反発を買い失脚してしまいます。

定信は老中を辞職してからは、白河藩主として、領内をまとめあげました。