室町幕府は足利尊氏が開きました。武士の拠点鎌倉ではなく京都に幕府を開いたのはなぜでしょう?
しかも、京都の地理は守りにくく、攻めやすいという防衛上の短所を抱えていたにも関わらずです。
それは、『南北朝』と言う特異な時代であったからありました。
日本の歴史上、『南朝、北朝と二人の天皇が同時に存在する』という時代でした。
北朝の天皇は京都に、南朝(後醍醐天皇)は吉野に都がありました。
北朝の天皇を擁立する足利尊氏は京都を離れるわけにはいきませんでした。
やがて時代の混乱に巻きこまれ、仲のよかった足利尊氏と直義兄弟も晩年は仲が悪くなってしまいます。
武士の寄りどころとなる鎌倉の守りはというと、『鎌倉公方』が設置されました。
初代将軍、尊氏の四男基氏を祖にして開かれます。
『公方』は将軍と同義です。
代を経るにしたがい、反目します。
本家と分家のうちわもめが、幕府の存在を危うくします。
やがて、幕府による鎌倉公方討伐、遺児をかついだ結城合戦へと発展します。いずれの合戦にも敗れた鎌倉公方は衰退し、古河に逃げた成氏が、かろうじて鎌倉公方の命脈を保ちます。
【この記事は2021年4月10日にアクセスがありました。加筆訂正しています】