為朝は源義朝(頼朝の父)の弟にあたります。

義朝には十人の男兄弟がいます。


兄弟の中で歴史に名前を残したのは長男義朝、八男為朝、十男行家でしょう。

ちなみに、行家が登場するのは平家の専横が進み、『平家にあらずは人にあらず』と言われていたとき。
後白河天皇の第2皇子、以仁王が、平家打倒の兵を挙げます。
全国に潜伏する源氏に、以仁王の手紙を届け、平家打倒の兵を挙げるように説得して回ったのが、この行家です。

八男為朝は、坂東武者の中で、『剛の者』と呼ばれます。背丈が二メートルをこえ、弓をとってはかなうものがいなかったと言われています。

為朝は、『保元の乱』の時には、父為義とともに崇徳上皇につき、夜に敵陣に奇襲することを勧めますが内大臣藤原頼長に、「夜討ちとは卑怯者のすること」と意見を退けられました。


後白河天皇方についた兄義朝が逆に夜討ちという先方を取り、天皇方を勝利に導きます。

敗戦後に捕まった為朝は伊豆に流されます。

しばらくおとなしくしていましたが、のちに朝廷に反抗した為、軍隊を送られて自害して果てたと言われます。


伝説があります。


実は為朝は生き残っていて、沖縄に渡り、琉球王国の国王になったという話があります。