その歩行距離はなんと、地球一周にあたる約4万キロになります。
しかも、忠敬は、69歳を越えていました。すごい体力ですね?
ちなみに、忠敬の一歩が、69センチと言われています。
『伊能測量』と呼ばれる約10回の全国測量の旅を行った忠敬。
1回目は、蝦夷地の測量を開始します。
幕府の、「蝦夷まで、船で行け。」という命令を辞退し、江戸から津軽半島まで歩いて行きます。
江戸から、蝦夷まで徒歩で、30日かかかったそうです。
地図完成後は、将軍のご上覧を受けます。
当初、全国測量は忠敬の個人事業に近いものでした。
やがて、忠敬の功績が認められ、幕府直轄の事業となります。
測量の過程で、『半円方位盤』を開発し、方位や角度を正確に測ることにも成功しました。
このことは、『山島(さんとう)方位記』という本もにまとめられています。
忠敬の功績が海外に知られる事件が起きます。
シーボルト事件です。
このときに、忠敬の日本地図が海外に流出します。
イギリス海軍は、これをもとに海図を作ったそうです。当時、天文学や、測量技術は西洋が進んでいます。
明治時代に、イギリス海軍は、忠敬が作った地図があまりに正確だったため、日本列島近辺の海の深さを測っただけで本国に帰ったというエピソードがあります。
【この記事は2020年12月20日にアクセスがありました】